こんにちは、ひろみです。
校長ジェレミーのアセスメントに続き、2回目のアセスメントを受けました。
前回もそうでしたが、もう10年以上「教えること」をやってきた私が「教えること」について審査される、不思議な気分です。いい意味でも悪い意味でも定着している「私のやり方」に見直しをかけている、そんな学びの段階がアセスメントだと思っています。
「教え方」って内容、わかりやすさ、生徒の理解とともにいるなど大事にしたいことは多いですが、ここで見られているのはそのもっと前の段階の「教えているときの自分ってどんなことしてる?自分の伝え方、自分で選んでる?そんな自分の在り方は必ず生徒に影響を与えるよ。言葉はもちろん、所作のすべてが生徒さんに雰囲気として伝わる。いつだって生徒さんが学びやすい状況・環境に配慮し続けている?」ざっくりそんな種類のこと。
先生に相談したいんだけどできない、とか、聞きたいことが聞けない、ということ、過去にありませんでしたか?
それって言えない自分の問題だと思っていたんだけど、なんでも聞きやすい雰囲気とか聞いてもいいオーラとか醸し出す先生もいるじゃないですか。逆に、言いたい、聞きたいことがあっても威圧感を感じるような雰囲気がビンビン伝わってきて言えなくなったりすること、経験ありませんか?先生、今日機嫌悪いのかな?的なこととか(笑)
それってやっぱり先生側の問題もあるってことなんです。先生だって人間です。いろいろあります。でも、生徒が学ぶ、という環境にその私情を持ち込んでくるのはお互いにとって有益なことでしょうか?威圧的な態度をとりたくてとっている先生はまだいいです。わかっててやってるなら。(でもそんな先生から安心して何を学べるのかはわかりませんが。緊張感は出せますけどね!)先生は自分が特に意図していない時にも、感情から動きが生まれ、知らず知らずのうちに生徒に伝わってしまっていることも多いのです。
私が学んでいる種類のことは、自分のこんな気持ちがこんな動きになって現れていて、それを生徒が受け取ったらこう見えている、こう感じていることに気がついてる??ってこと。やり方は無限大。正解なんてあるはずがない話ですが、そこにも配慮できる教師であろうとしていく取り組みがアレクサンダー教師には必要なのです。
「安心して思い切り挑戦できる学び」
特にアレクサンダーテクニークでは普段レッスンで言われたことを家で自分でやってみる、の「自分のやり方」の領域の話を細かく聞いたり、どうしてそうやってるのかっていう「その人の考え方の背景」の話を伺ったりもするので、安心して話ができない環境ではレッスンが成り立たなくなってしまうのです。
という訳で毎回新しい視点が増えるアセスメント。今回も無事に合格をいただきました。裕介さん、授業からつながる深い学びをありがとうございました!!協力してくれた生徒にも感謝!!ありがとう^^