気をつけて演奏しようとした時になぜカラダが固まってしまうの?

 

こんにちは、ひろみです。

6f2c310f5be79f2127e366b90836d3ec_s

 

もうすぐ本番の生徒さんが演奏するステキな曲は・・・

冒頭、静けさの中から浮かびあがる1音から徐々に動きだす物語。自由に踊るように動く連譜たち

場面は変わり、切なさを歌い上げるような表情豊かなフレーズにしばし酔いしれ

またガラッとスピード感のある、明るく軽快な世界へ連れていってくれる

あらゆる技術を駆使しながら演奏することが要求される、ボザという作曲家の作品です(誰?という方も多いかもですが、管楽器を専門に勉強した方にはお馴染みの作曲家ですね)

随分前から熱心に取り組んでいるその生徒さんは、このレッスンの直前に世界的に有名な先生のマスタークラスを受け、相当にさらい込んで、私のレッスンに来てくれました。

聴かせてもらったその演奏は、それまでより格段にコントロールされていたし、丁寧さも増していて、想いのこもったステキな演奏。

以前の私だったら、それ以上私が何も言わないほうが上手くいくのかな、違う場所のことをもっと詰めていこうかな?と思ったかもしれない。でも、動きを見ることをトレーニングしている今は、少し見えかたが違いました。

それは?

前回のレッスンのほうが明らかに音の伸びが良かった。(リードの条件が良くなかったのに)

今回、うまく演奏していたほうが、必要のないだろう筋緊張が多く見られた。

明らかに仕上がりが良くなっているんだから、それでいいと本人が思えば、私もそれでいいと思うんです。だから聞いてみました。

「吹いてみてどうでしたか?」

そうしたら、いまの自分に出来ることはまあまあやれたという満足感のあとに

「前より苦しかったです。あと、肩の痛みをまた感じてしまいました」

と話してくださいました。以前から左肩の痛みを訴え、最近気にならないまでに改善してきていたのに。

そこで見たものは

丁寧に吹く

=カラダを固くして動きを少なくして吹く

=次に起こることに気持ちだけが過剰に反応している

が見えてきました。「丁寧に吹く」に強力にくっついてしまっている「カラダの固まり」は本当にないと同じことは出来なくなるのか?同じことを筋力のバランスを変えても出来るかな?と動きの選択肢を増やして考えていけるのがアレクサンダーテクニーク。その考えの軸になっているのは「必要なことをやる」といういたってシンプルな考え方です。

この日に試してもらったことはこんなこと

・丁寧に吹きながらも、ブレスは上のほうだけでなく、肋骨全体を動かすようにするとどうなる?

・速いフレーズが始まる時、速い!とか入りが遅れないように!という思考に支配されすぎなくてもいい。もういつも気をつけていることだから、その割合を減らして、そのかわり音が出るべきタイミングで息を上に出すことを考えてみるとどうなる?

・楽器を持ち上げる、という仕事は三角筋(肩パットのような筋肉)の主に前側を使う動作(もちろん他にもある)この三角筋という筋肉は、1つの筋肉の前側、中間、後側で果たす役割がそれぞれ違う筋肉。だけど、1つの筋肉だから、連動も起きやすく、ついつい使いすぎてしまうことが多い。後側(背中側)を固めなくても楽器が持ち上がることを体験してもらう。吹き始めに楽器を構える時、力が入ってしまっていると、それを演奏しながら抜くのはとても難しいから、楽器を構え直す度に意識的に前側を使おうとするとどうなる?

その後でもう一度「どうでしたか?」と聞いてみると

「こっちのほうがラクで音量のコントロールもしやすい。肩もさっきほど気にならないけれど、まだロックしちゃうところもあるんです」

と。演奏のクオリティを変えることなく、ラクになれた。むしろやり易くなることも出てきた。肩周辺に関しては、緩んだり固まったりしていることに気付きながら、対処も入れ始められている。

「すぐに忘れちゃうんですよー」

という生徒さんの言葉通り、コレも練習が必要なこと。でも、吹き終わるまでカラダの固さをどうすることも出来なかったはじめの演奏からは、意識的に改善することが多く取り入れられている!

自分の反応を新しいものにすることは、新しい技術を1から覚えるより根気よく向き合っていく必要があるかもしれない。

音楽・演奏という刺激的な時間の中で、自分のベストを尽くすために刺激に振り回されるのではなく、自分でやりたいことを選び続けていく。

これが楽器と自分を演奏のためにコントロールをするということ

悩みや不調のためと思われがちですが、自分の習慣に改めて気づいたり、変化することができるのがアレクサンダーテクニークです。