成果主義と行動主義

3039f1554c461432a8827b985b0ec583_s

こんにちは、ひろみです。

前の記事の続きなので、いきなりこの記事に来ていただいた方にはまず1つ前の記事を見ていただけると話が繋がります→http://hiromi-oboe.com/成績アップと演奏の上達の秘密

 

成績アップと上達アップに効果的なご褒美の与え方について。

2つの方法が考えられますが、フライヤー教授の実験によると、どちらかのの場合には顕著な向上を見せましたが、どちらかの場合には全く向上が見られませんでした。

その2つの方法とは

成績アップという結果に対してご褒美を与える「成果主義」と

勉強するという行動に対してご褒美を与える「行動主義」

私たちに置き換えれば

演奏の出来栄えについての評価が「成果主義」

本番では出来なかったかもしれないけれど、その演奏に至る過程で得たことや気づきに対しての評価が「行動主義」

ということになるでしょう。

さあ、どちらが成績アップに、上達アップに繋がるのでしょう??

7171867273b37059d53dcf35f08b6a8d_s

答えは「行動主義」だそうです。

理由は「やるべきことが明確だったため、その通りに行動することが出来、成果を出せた」というもの。納得です。

もちろん「成果主義」じゃ上達しない、と言っている訳ではありません。「成果主義」的な考えの人だって、やるべきことが明確にわかっていれば、成果に繋がる具体的な行動が取れるのです。

そして、これについては、ニューヨーク市立大学のロドリゲス准教授の研究により、学習の面倒を見る指導者や先輩がいる場合には、「成果主義」でも向上することがわかっているそう。

つまり信頼できる先生のサポートが常にあるならば、どちらでも良いのかもしれませんね。

でもいつでもサポートがある恵まれた環境にずっといられる方はごくごく少数派で、その多くが学生の間くらいでしょう。

練習で出来ないことばかりに気持ちがいって自分はダメだーとよく思ってしまいませんか?←ワタシ

本番の出来栄えは良くなかったとしても、その本番の準備の段階で見つけた新しいことや実現できた他のことを喜ぶこと、出来ていますか?

 

こんなことを書きながら、自分のことで振り返って思い出すことがあります。

大学院入試の数ヶ月前に、大学の学内演奏会で入試の曲を演奏した時のことです。

私にとってこの演奏会は、それまでがむりゃらに練習してきた成果を試す場であり、自分の中では試験のリハーサルという位置づけをしていました。もちろん師匠もそのように聴いているだろうし。

その演奏会の出来栄えは、というと・・・直前の私はリードの準備や調整に失敗し、自分の出したい音が出せなくて焦っていました。でもあんなに練習したし、という想いもあって「自分の出したい音色は諦めて今出来ることを最大限にやろう」と決めて演奏しました。

これまでに、そこまで自分のコンディションのことを吹っ切れたことはなかったので新しい体験だったことをよく覚えています。

気持ちよく吹け、ミスがなかった訳でないけれど練習でやったことは出来たかな、という感じ。でもやはり自分に聴こえてくる自分の音色が時折気になっては、今はそっちを嘆く時じゃない!と自分に言い聞かせながらの演奏。

演奏が終わって何とも言えない気持ちで師匠のところへ行きました。言われることは想像出来たので、少し気分が重かったのを覚えています。

でも私の予想に反して、師匠は笑顔で私に「よくやった!」と言ってくれたんです。微妙な気持ちの私は素直に喜べず「でもリードの調整に失敗してしまって・・・」と言ったんです。もちろん師匠はそのことだってわかっています。でもそれは次の課題だね、としてこの日の演奏のために積み上げてきたことのほうを褒めてくださいました。

その時の演奏の質、は私にはよくわかりません。わかっていることは、私的にはベストを尽くせたこと、でもリードの調整に失敗したこと、という事実だけ。自己評価はイマイチ。だってとっても大切に思っていた音色の部分にこだわれなかったから。抵抗が無さすぎてコントロールがしにくかったから。

でも師匠の言葉で、今日の結果にとらわれていた気持ちから、今までの練習の積み重ねを更に続けていけば目標に近づいていけるのかもしれない、という建設的な考えになり、とても気分が明るくなったことを強く覚えています。

勉強も演奏も同じですね!!

私が今でも成長し続けられているのは間違いなく師匠をはじめ周りからサポートしてくださる先生たちや生徒さんたち、友人や仲間、家族のお陰です!

今年も残りわずかとなりましたが、皆さまにとって来年も更によい1年になりますように。

今後ともよろしくお願い致します!