こんにちは、ひろみです。
先日、新宿・ドルチェ楽器で生徒さんの年に1度の発表会がありました。
毎年、生徒さんのチャレンジの過程から本番までを一緒に歩んでいますが、本番がどれほど人を成長させるのか!と驚くことばかり。今回もそれぞれの方が本番までチャレンジし続け、見事に吹ききってくれました。
そんな本番までの過程で感じた「緊張」にまつわることを書いてみようと思います。
「最高のパフォーマンスを引き出す」というテーマで9月にワークショップをやらせてもらったのですが、その時取ったアンケートや、今回本番を経験したみなさんとの話から
「緊張」と呼んでいるものの定義づけが人によって全然違う!
ということを改めて感じました。
震える、固まるというようなコントロール出来ない身体の状態が起こることを「緊張する」と定義付けている方もいれば
それが見た目には明らかに起こっていたとしても、自身の認識では「緊張していない」という方もいるし
共演者がいると「緊張する」という方や
人は気にならないけど、演奏する場所が広ければ広いほど緊張するという方
自分が演奏している先のことを考えると緊張する とか
演奏する直前にそれまで感じなかった緊張がやってくる
など本当に様々。心の中はその人にしかわからない世界。でももし助けになるなら、そのココロにも寄り添える先生でいたいとも思っているんです。でも、私は心理カウンセラーではありません。癒してあげられる訳でも、緊張しなくする技を持っている訳でもありません。
ただ、その考えがどこからやってきているのか?それは本当なのか?なんてことをお話しながら、演奏者として経験してきたことや、アレクサンダーで学んでいる動きを観察出来るスキルから『緊張していても使えるやり方』を伝えることは出来そう。より自分の力を発揮し易くすることで寄り添える、そんなことを目指しています。
今回、こんなことがありました。
いつも「緊張しません!」と自信を持っている方だったのですが、本番直前のピアノ伴奏合わせで今までになくボロボロになり全く吹けなくなってしまいました。
正直、私もびっくり!あんなに練習で吹けていたのに!!
合わせが終わった後の個人レッスンで、さっき何が起こったのかを聞いてみたんです。そしたら
「ピアニストに緊張してしまいました」
と。
わかります!!
と言いたいところなんですが、この方、普段は人に緊張するタイプの人ではないんです。お仕事柄大勢の人の前で話す機会も多く、それを楽しんでいると自覚されてるし、楽器に関しても子どもの頃からいろんな楽器を通して本番を経験してこられた中で緊張しない、という認識を持っていたから。ピアニストだって、もう何度も共演している方でした。
お話を聞きながら、その時起こっていたことを見ていた私が考えたのは
「自分を全く見失ってピアニストと合わせなきゃいけない!と思いすぎてしまったのかな?」
ということ。終始落ち着かない演奏で、ピアノ伴奏がないところでさえ自分の吹きたい速さで吹けていなかった、そんな感じに聞こえていたから。
私がこの日と、次の伴奏合わせの時に伝え続けたのは
「先のことを見すぎないで、出てきた音を振り返ることもしないで、ただ次に出したい音のために必要なことを考え続けながら演奏しましょう」ということでした。
先のこと(未来)を考えて心配しないで、出てきた音(過去)にとらわれないで、「今やるべきこと」に自分がいられれば、必要なことはもう今までのたくさんの練習から知っているはずだから、ということでした。
このケースではコレがとっても効きました!初回伴奏合わせで全く思い通りに音が並ばなかった早いパッセージが、次の合わせではたまに並ばないくらいになり、本番では練習以上に冷静に、正確に、丁寧に全ての音を演奏してくれました!!演奏後のすがすがしい笑顔に、私のほうがぐっときました、ホントに。
緊張に対する認識って話に戻るりますが、このケースだって人によってはその焦った感じは「緊張してる」と捉えたりしますよね。
現象はいろいろ起こります。自分でそれにただ「緊張」という名前を付けて呼んでいるだけなんだけど、実際に起こっている現象より、その「緊張」という名前に対してその人がどんなイメージを持っているか、のほうが自分に影響したりしてませんか??
緊張をコワイと思うのもとてもよくわかりますが、同時にコワイ思いをしてまでやってみたいことがある、大切にしたいものがあるっていうのも本当。
その大切なものを発揮したい時間に本当に必要なことって、コワイと感じることよりも、大切にしたい想いのほう。
緊張って自分が全力で頑張りたいっていう強い想いが創り出す、素敵な時間なのかもしれないですね。
(でもカラダのコントロールは失いたくない!そこで出来ることもいろいろ試しておく価値、ありますよ!)