望みの実現のためのやり方・・・のはずが、という話

こんにちは、ひろみです。

 

自粛期間、どんなふうにお過ごしでしょうか?

私は・・というと、やることが多くてほとんどの日があっという間に終わってしまいます。

世間のお母さんと同じく3食(うちは4人分)を用意し・・・小学生男児2人の相手に練習にリード作り、ATの復習にオンライン授業(レッスン)を受けたり提供したり。自粛もなかなか体力勝負ですね((+_+))

そんな中、息抜きな感じでフェイスブックやツイッターを覗いているんですが、キラキラした投稿(私にとって激しく同意できたり、刺激的だったり、気づきを与えてくれたり、笑えたり!!)に出会うと気分が上がります!私は基本、SNSとはそのくらいの付き合いにしています。今はその時間も子どもに邪魔をされながらですが(涙)

その中に最近とってもステキな気づきの投稿があって、それはATを学びながらずっと私が引っかかっていたことと同じだったので、そこに激しく同意し、いつもはしないコメントまでしてしまいました。

それは

「音楽をしたいから技術を学んだのに、いつのまにか技術の習得のほうが目的になってしまって本来のやりたかったことを見失っている人が多い」

という趣旨のこと。うんうん。若いお方なのに素晴らしい発言だなーって思いました!!

どうですか??おもいあたったりする方もいらっしゃるのかな??

 

私は学生時代、とにかく師匠や音楽への憧れが強すぎて、面白くて、悔しくて、もっと表現したい、もっと自由に吹けるようになりたい!という想いに引っ張られるように吹いていました。ピアノでできていたことが、オーボエでうまくいかないことが悔しい気持ちもありました。技術に関することは真似と感覚が全てでしたし、コンクールに入賞したい、とか、演奏・音楽の仕事をしていこうという具体的な「欲」も正直ありませんでした。小学生の頃から抱き続けた私の夢は「先生」だったので、これがいろんな形で叶っていたことがそうさせていたのだろうと思います。

それはそれで良かったのか悪かったのか。。。現実的ではなかったのかもしれません。。。それでも奇跡的にこうして音楽を続けられていることは幸せなことです。

そうは言いながらも、人生には何度か自分の進む道について考えさせられる出来事が訪れ、(あっけらかんとしてるように見える)私も人並みには悩みましたが、その時にいつも思っていたことは

「好きで始めた音楽が好きでいられる自分でいたい」ということ。

あ、なんだか話が脱線してきました。。。

 

アレクサンダーのレッスン(すべての流派ではないと思います)では、まず「何を望んでいるのか、何をしたいのか」を共有することからはじめていきます。こんな音を出したい、指を早く動かしたい、ラクに吹きたいなどいろんな理想があると思いますが、それは何のためにしようとしてる?音楽を奏でるための技術を習得したいんだ、ということを思い出してもらいたいのです。

そこから「観察・事実の確認」⇒「分析」⇒「そこから出てきた新しく試したいやり方」⇒「やってみる」⇒「どうだった?」

という順に進めていきます(あくまでキホンの形です)

もう少し詳しく書くと、「観察」や「事実」というのは実際に起きていることの認識のことで、それを知識(カラダや動きの仕組み)やこれまでの経験を総動員した「分析」をし、感覚に頼ったものでない「新しいやり方」を「やってみる」というプロセス。音楽とはかけ離れた考え方のように聞こえると思いますが、(私も長い間そう思っていた)自分をコントロールできるスキルというのを磨く必要があるのはアスリートと似ているのかな、と。

アスリートと言えば、アスリートとしての実績をお持ちのタレント、武井壮さんが「大人の育て方」というYouTubeで話していたカラダへの気づきの話を思い出しました。よかったら検索してみてください。(10分くらいのところから)

印象的だったことを少しだけ抜粋↓

「自分は頭の中で思った通りに動いているつもりなだけで、思った通りに動いてなかった」

「自分のカラダを思った通りに動かせる練習をしてからスポーツをやろう」

「見えていないところは腕をまっすぐあげることもできないオレなんだ」

 

私は凡人なので、楽器を長い間吹いてきたのにこんな風にカラダのことについて考えたことはありませんでした。自分で自分のことを思った通りに動かせていない、なんて思ったことももちろんなかった。「やり方」の部分では教わったこと、自分なりに研究してきたことはいっぱいあったけど。

アレクサンダーテクニークに出会って自分にとって「新しい!」と思ったのは武井さん流に言うと「自分は頭の中で思った通りに動いていない」にあたるところでした。

自分の動きってこんな風になってたの!?こうしてるはずだったのに!!という気づきや、こんな風に動けるのにあまり使ってなかったのね!!という発見。AT流には「思考が変われば動きが変わる」と言っています。

カラダを動かすというのはあまりに当たり前すぎていて自動的にやれてしまっていますが、繊細なことや負荷をかけることを要求するとき(スポーツ・楽器演奏・特定の動きを反復するなど)には一度その「動き方」について見直してみると、動きの精度や質、疲れにくさなど変わってくるかもしれません。

 

今まで考えたこともなかった視点が一気に増えてきた時期、その変化や効果がとても面白くなってつい「自分のカラダの使い方」ばかりを考えてしまう、私自身にもそういう時期がありました。(教師養成コースではそんな指摘を受ける姿をよく目撃します)

ただ、そんな時期にきたら思い出してほしいのです。

「何のためにこのことに取り組んでたっけ?」

そして、その目標を第一に考え、それを実現させるツールとしてその「方法」を使ってみてください。

 

演奏してみると、目的が技術になってた時とけっこう違いませんか??

先生の仕事の1つは、この「目標」「目的」を思い出させてあげることだと思います。

だから、実際に吹きながらレッスンしてくれる先生、先生が出演するコンサートに足を運んで実際に聴くってって上達にはとっても大事なことなんです。

 

それが出来ない今の時期。。。なんとも悲しいのですが、自粛生活の中でもできることを一緒に頑張ってきましょう(^_-)-☆