演奏のための情熱を演奏に繋げる練習♪

6f2c310f5be79f2127e366b90836d3ec_sこんにちは、ひろみです。

何か自分にとってパワーのいること(演奏)を始める前に「さあ、今から頑張るぞ!」と気合いが入ること、私はいっぱいありますがどうでしょうか?

それは情熱が現れているのと同時にいつもより力がいることに対しての身体の準備。普段意識していない筋肉たちを刺激し、これから起こるパワフルなことに対応しようとしている。もしそこに「緊張」というワードが入ってくる場合も、心拍まで上げて血液をどんどん送り続け、今から起こるパワフルなことに備えて準備をし始めた時。ステキな準備の段階で、身体にとっては正常な反応。

ここから緊張についていろいろ掘り下げて考えることも出来そうですが、今私の興味のあることは即実践出来る方法

「気合い=パワーが溢れてきた時にそれをどう今の自分に繋げるか」

ということ。演奏をより良いものにするためにパワーを使うやり方。

気合いが入る、ということは自分にとって普段とは違う何かがあるんだろう。

「人前で演奏する」「大きな音を要求されている」「難しいフレーズがある」「息が心配」「体力的に吹き通せるか心配」「いつもとは違うメンバーや環境で吹く」「場所や人に思い入れがある」「自分にとって大切な本番」などなど

とりあえず思いつくままに挙げてみたんですが、その「気合い=エネルギー」が演奏している自分にやってきていると、良くも悪くもいつもとは違ったことが起こったりする。

その素晴らしい出来事も、やらかしてしまったと思ったことも、どっちも自分がやっていること、という事実を確認。自分以外には自分に指令を出して動かせたりしない。結局良くも悪くも自分で選択した結果なんですよねー。

素晴らしく出来た背景には自分の持っているものがあった、ということ。新しいことが起こったんだとしたら、情熱やその時選んだいろんなやり方に引っ張られて元々持ってたものが新しく繋がった瞬間だったのかもしれない。本番のエネルギーが起こす嬉しい瞬間。

選んでしまった、と後悔するような悪いことを絶対に起こさないように出来る訳ではない。それはその場のその状況においては自分を守る最善の方法だったかもしれないから。でもそうじゃなくて、舞い上がって他にやりたい方法があったのにとっさに取ってしまった方法だとしたら?

私たちは本番に向けて練習や準備を時間をかけてしています。

「気合いという名のエネルギーは自分が演奏する時にどんな形で現れているのか?」

という本番を想定した練習や準備をすることも出来ますね。そんな切り口から練習に取り組んでみると、エネルギーが溢れた時にうまく制御出来ていないことの中には普段からその片鱗が見えてるってことは実はとっても多くある。まぁ考えてみたらそうですよね、本番で起こることは全部自分がやってることなんだし。練習段階では少しだけしか起こってなかったから気づかなかった、気にならなかっただけの話。原因は持っている。だから練習も対策も出来る。

自分の演奏のためにやるべきことを自分に明確にすることも練習。それは奏法だけじゃなく音楽的解釈や表現も全部含めて。情熱、緊張、プレッシャーという名のエネルギーに飲み込まれずにやりたいことをその分量まで把握出来ていられるように。ただ指が回るようにリズムを変えて練習しておくよりもう少し踏み込んだ繊細な情報まで把握して音にする練習。それってどんなのよ??

例えばだけど、ブレスに注目してみる。

気合いが有ろうが無かろうが、吹きたいフレーズに対しての息の量は実はそんなに変わらない。もちろん練習で想定がなかったことが本番にはあって、それに合わせるということはいくらでもあるんだけれど、それは意識的にやりたい。いつも通り吹いたはずなのにいつもより苦しかった💦とならないために。ブレスコントロールが上手くいけばいくほど他のことがやり易くなったり体力的にも余裕がうまれる。

でも、冷静に考えたらそんなに吸わなくても吹けるフレーズだって頭では解っているはずなのに、反射的に(思い込み、無意識、他の情報やニュアンス、気合いの効果も加わって)「吸えるならより多く吸って!」という思考は起こりがち。吸いすぎて苦しくなる、吸いすぎてやりにくいことだって場合によってはある。最適な吸う量は練習しておける。

いつもより気合い=エネルギーがあるから身体が固くなってしまうのは本来やりたいことではないはず。そのエネルギーは演奏をより良くするために生まれたもののはずだから。音を出すことは動くこと。どんなにステキな感性やイメージを持っていたとしても、身体が止まっていては音は生まれない。呼吸の動作、構えの動作、アンブッシャ、頭のてっぺんから足の先までが動いている、いつも動ける準備をしておく動く練習。その準備が出来ていれば頭の中の音楽に身体がついていくことが出来るから。

特別な場所に立った自分が自分らしくいられるために。