演奏中にアレクサンダーを使うこと②

 

こんにちは、ひろみです。

前のブログからの続きの記事になりますので是非前から続けて読んでいただけたらと思います!

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今回の演奏会も例年と同じくらい、いや今回はマタイということもあり、自分自身はかなり張り切っていたはずです!その熱い張り切りを吹くことへの直接的なエネルギーにする、というよりそこに関わる1人として確実にこの音楽の一部であることへの責任感や充実感、仲間からの刺激やキャッチボール、1曲1曲の歌詞に想いを馳せることなどに多くエネルギーを使っていたように思います。

それと同時に自分の身体へ対しては音楽を実現するために今使うところ、今は使わなくてもいいところ、いつもの私なら頑張ってしまいたくなるところに意識的でいようとしていました。

でもそれはこれまで演奏中に自分が気をつけるべきこととか、聴こえてきたことに対して反応する、みたいなほんの一瞬の気づきがやってくること。

それでも身体の固まりや息の吸いにくさ、腕の疲労などの不快な気づきは勝手にやってきます。以前なら演奏中起こるこれらのことにどうしようー??という反応がよく起こりましたが、ATや身体の機能などの学びのおかげでその一瞬思ったことに対しての策が打てるようにもなってきていました。何もしないよりずっといい。他の方に動くことが出来る。これがどんなに自分を助けてくれたか。

その速さは本当に一瞬。頭の処理速度は私たちの動作を順番に、でもほぼ同時に感じる速さでやってのけます。だから気づいたらすぐ反応できる。これは私たちみんなに備わっている能力。反応は反射に似ていますが、反射とは違う伝達回路を使っています。反射は脳を通らないで起こっている筋肉反応。この違いが自分の意思で(意識的に)コントロールできること。練習の時にやっておきたいことは正にこっちの伝達回路作り。

上達や向上って気づきから始まるんだと思います。音楽に対する要求、自分のやっていることに対して、身体に対して、練習の中から、共演者から受け取ったものなどそのシュチュエーションはいろいろだけど、現状に満足して気づきがなくなってしまった時、そこで成長は止まってしまう。

音楽に対して気づき続けながら、奏でている自分に対して気づき続けながら、いいこともそうでないこともなるべく多くのことに意識的でありたい。それが新たな気づきを運んできてくれるから。

今回は以前よりずっと意識的であったおかげで、疲労感はもちろんありますが、背中が痛くなるとか腰が痛くなるとか、腕が上がらなくなる程痛くなるとかはかなり減りました。

でも、全くなくなった訳ではありません。全力でいきましたからね。もちろんめっちゃ疲れてます。楽器はラクには吹けないし、今回は特にラクに吹ける曲じゃないことも知っています。でも自分の意思で全力でいったので、終演後にどうしてここがこんなに痛いのー?みたいにはならずに済みました。心地の良い疲労感。

もちろんアフターケアも大切。使い方がどんなに良くてもハードなことをすれば疲労は溜まるし、特定の場所に負荷がかかる。治療も必要な時はあります。治療で良くなった状態をすり減らすのではない使い方。身体に意識的になることは自分に優しいやり方を知るきっかけにもなりそうです。