こんにちは、ひろみです
いきなりですが、自分にとって頑張りたい状況を想像してみてください
- 美味しいカレーを作りたい
- 100メートル走で良いタイムを出したい
- テストでいい点数を取りたい
- 試合で勝ちたい
- 作品を美しく仕上げたい
- 仕事を早く終わらせたい
そんな時、自分だったらどんなふうに頑張るだろう?
想像してみると・・・もしかしたら「頑張る」っていう言葉があまり適切ではない場面も出てくるかもしれません。
「頑張る」に込められる想いは人それぞれですが、結局「頑張る」を実現するために「やること」はそのことについて効果的かつ具体的な作戦を考えてそれを実行するということ。美味しいカレーを作るために材料を吟味したり、下ごしらえをしたり、手際よく作るための順番を考えたり。試合で勝ちたかったら、作戦を考えたり相手の攻撃を想定しながら練習したり。
一方で「頑張る」のイメージとして
気合いをいれる=拳に力を込めて「よし!」と全身に力をいれる
というの、なんとなくありませんか?
楽器演奏の話に戻しますね。
例えば「もっと大きな音で演奏して!」と指摘された時、自分はとっさにどんなことをしてるかな?と思い返してみてください。
美味しいカレーを作る時のようなプロセスなのか
「よし!」と全身に力を込めて頑張るイメージなのか
どちらが効果的なのかは考えれば明らかではありますが、考える前に習慣的な思考ややり方「頑張る!よし!」が出てきてしまっているとしたら?
この選択を私たちは動きのいろいろな場面で意識的にも(無意識的にも)しています
努力しているのに出来ないことって頑張ってないわけでも気合いや思いが足りないわけでもない。やり方がわからない・間違っている なんてことはいくらでもある。それを先生や仲間に指摘してもらえる環境があることは素晴らしいこと!!
と同時に、自分にも違う角度の視点が身についていくと、自身でも気づくこと、できることが格段に増えていく
私自身も以前は義務感やしょうがなく(追い込まれて)やるみたいな気持ちで練習していたことも正直ありました。でも今は練習って面白いなって思うし、まだこの歳になっても伸び代があるって思えることが楽しいな、もっと精度を高めたいなと思える時間になっています。
カレーの話を例に出したのでおまけに・・・
カレーを作るだけだったら、材料入れて火を通してルーを入れたら出来上がり!なのですが、美味しく作る、自分なりの個性を表現するような味を求めるなら・・・同じ材料を使ったとしてもどんな順番で入れますか?どのくらい煮込みますか?どのくらいの火の強さにしますか?などこだわりたいことは山のように出てくるもの。
ただ演奏するだけなら、必要なことが満たせていれば「できた!」になる。でももっと自由に、もっと繊細に、もっとイメージに近く、もっとラクに などを求めていくなら・・・どんな順番で動く?どのくらいの力ならそれが可能??などをこだわる(=改めて考える)のがアレクサンダーテクニークと言えるでしょう。