表現したいのに平坦な音楽になってしまうのはなぜ??

 

こんにちは、ひろみです。

「歌いかたを教えてほしいです」

「きれいに歌いたいんです」

「私が吹くと平坦な音楽になってしまいます」

 

レッスンでこんな相談をされることは、今までにも多くありました。

最近、そのことについて何度も何度も質問をされ、演奏を聴かせてもらっているある生徒を通して考えたことを書き残しておこうと思います。

 

そう相談してくれる生徒さんの「表現できない」という言葉。一体彼は「何を」求めているんだろう?

 

例えばだけど、「もっと盛り上げていきたい」を具体的に考えるなら

・どんな感情がそうさせるのか

・音1つ1つをどのように積み重ねていきたいのか

・その目的地はどこなのか

・どんな道のりをいくのか

・どんな背景、雰囲気の中でやりたいのか

・それを可能にする音質、音色、音量は

などなど。自分で自分のやりたいことについての考えをどのくらい具体的にイメージ出来ているのか?ここは表現者としては1番大切にしたいところだと思っています。それは、言われたからやるものではありません。

先生に言われたからやる→それが正しい

は表現ではありません。でも子どもの頃にそう言われてきた経験はけっこう多いんじゃないでしょうか?それが普通、になってしまってる方、いませんか??

もしそうやって吹き続けている方がいるなら、それとは違う音楽の世界を是非体験してほしいです!!ステキだな、と思える演奏に出会うために沢山の演奏会に是非足を運んでいただきたいです。

そこにはこんな伝え方があるんだ!や、溶け合うってこんな音がするんだ!など自分を刺激してくれるキラキラしたものが溢れているから。「こんなふうに表現したいな」という具体的なイメージが頭に浮かぶ、音が聴こえてくる、こんなやりたいこといっぱいの自分で表現してほしいです!!

そんな表現の引き出しを提示してくれたり、刺激してくれたりする先生のレッスンって自分が変わりますよね。私も自分が変わったレッスンはよく覚えています。

 

ここからはそれを演奏する時に知っておきたいこと。それは

自分が感情的に演奏することが本当に自分の表現したいことをさせてくれているのか

ということ。観客としてこれステキ!と受け取ったものを演奏者として表現したいと思った時、どうしたってそれを伝える技術も必要になります。楽器、という道具の特性や機能、それを使う自分がどんなことをやらなきゃいけないのか、を知っておく、練習しておく必要が出てきます。

この時にこんなこと、起こっていませんか??

→ 想いにカラダが引っ張られていて本当に必要なことが出来ていない

→ 「動作をちゃんとやること」が目的になってしまい、そこに伴う感情がいつの間にか無くなってきている

今回のタイトルから伝えたかったことはこのあたりのお話です。

想いとそれを実現する動作は、引っ張りあうものじゃなくて、一緒に歩んでいくもの。

その「想いかた」は人それぞれ。想いは具体的であればあるほどやりやすくなるものです。思い通りにいっていない時には「想いかた」のバリエーションを考えてみるのも1つの方法です。

もう1つの方法は、必要な動作を整理する、ということ。うまくいっていない場所に関しては何かやりにくい原因がある可能性も。だからその「熱い想い」を実現するために必要な「動作」を1度見直してみるために、順番に取り出してみるんです。

そんなことかー!もう知ってるよ!!

まあ、そう言わずやってみると面白いです。動作1つ1つの質にこだわってみると、それを組み合わせた時に、明らかな「違い」となって聞こえてくるでしょう。

私自身もかなり今更でしたが「構え方」を見直し続けることで、呼吸も、カラダへの負担も以前とは全然違います。

そのことについても記事を作成中。

興味のある方は時々覗いてみてください!!