「指が速くまわらない」
このことについては自分もそうだったし、私が出会った人も、先生も、多くの人の答えが
練習あるのみ!練習が足りない!
練習のやり方が悪い!
ではないでしょうか?指の動きは運動や反射、トレーニングが必要な作業だから。私もほとんどのことを↑で解決する、を経験しているし。
でも、この部分でもアレクサンダー的アプローチがいろいろな可能性を与えてくれることを知りました。
練習したのに出来ないってこと、ないですか?もっと言うと、指はまわらなくはない状態、というのでしょうか?その時々でうまくいったりいかなかったり。楽譜通りに音は並んでるんだけど、自分が必死?な状態になってしまう。そこだけに。もっと他の場所と同じように吹きたいのに必死に目が追いかけている。(もうとっくに覚えているのに!)不安からか、楽譜にかじりついてしまう。
それでもなんとか吹ける。傷はあったりなかったり。
今日はそんなものか、まだ練習が足りない、練習を重ねればもう少し完成度が上がるだろう
とその時の自分に理由をつけてその日の練習を切り上げる。
なんとも吹けない時には思いつく限りの方法を時間の許す限り練習に取り入れて必死に練習
↑根性と自己否定(何でこんなこと出来ないんだ!)がエネルギー。
でもどんな練習をしていても、なんだかわからないけど、たまにするーっと流れるように上手くいったりすることもあったり・・・
こんな経験、ありませんか?
「何だかわからないけど、うまくいってしまった」
せっかくうまくいったこの「何だかわからないこと」を再現する道筋を知ることが出来たら、どんなに心強いか!
この「再現してみること」を考えてみました。
ポイントは上手くいったときに何をしていたか、ではなく
何を考えていたのか
なのだと思います。
ただ面白いことがあって、笑うのを少し堪えながら吹いたら何故だか上手くいった!
なんてことも起こるかもしれません。
考えていることがその時の自分の状態をつくっているんです
「ちょっとした笑える何か」が筋肉の緊張を一瞬にして解きほぐしてくれたことが、動きのやりやすさに繋がることだってあるんです。
その「何を考えるか」を自分で見つけるのが練習だと思っているあなたへ
私もずっとそう思っていました。
レッスンでは指摘を受けること、音楽的アイディアをいただくことがほとんどだから、不具合の解決は自分でなんとかするものだと。
でも私が出会ったアレクサンダーテクニークのレッスンは、私の悩みや疑問を人間のデザインに沿って身体の使い方と照らし合わせて「何を考えるとやりやすくなるのか」を提案してくれるものでした。
指が回らない、と思っていた箇所にくると(具体的には左手小指の動きが絡むところ)私は手首から指先までで遠い距離をなんとか動こうと、それまでより明らかに力が入っていました。
でもレッスンで「動いていないところがあるからそれをカバーするために手首から先が無理に動こうとしてしまい、力みになっている」ことに気づかされました。
頭からぎゅっと背骨を縮めるように小さくなるような姿勢になることは(楽譜を凝視するとなりやすい)結果的に指の動きを邪魔していることも実感しました。
「指が回らない」に対して
気合いや根性のような練習もできる。
リズム練習やメトロノーム練習もできる。
今の自分の動きに対するアプローチもできる。
自分の可能性を引き出す手段の1つです!!